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街道をゆく 中国シリーズ

 前回の「されど」エクリは参加者が15人を超えてびっくりでしたが、今回は10人ほどで落ち着いた陣容でした。おひとり、日程変更の連絡ができなかった方が前日に来られて、申し訳ないことでした。
 人数は減りましたが、かえって話は白熱しました。中国を一回ですませてしまうのはもったいない気がしましたね。なんせ話題にこと欠きません、五千年の歴史をもつ中国は。3冊分いっぺんにやるのはどだい無理で、触れられなかったことがずいぶんあるのですが、中国をトータルにとらえるために、あえて欲張ってみたわけです。
 司馬遼太郎の中国の旅は日本文化の源流をさぐるのが目的だったわけですが、昨年のエクリのテーマであった日本の「近代」を考えるうえでも、中国は欠くことができません。というのは、中国近代の不幸が近代日本の迷走と密接にからみあっているからですね。『街道をゆく』ではその問題にふれていませんが、司馬さんはどこかで、国が広すぎることが中国の不幸であり、そのことを考えなくてはならないという指摘をしていました(私のあやふやな記憶ですが)。正直いって、そのとき私には司馬さんの言わんとすることがよくわからなかった。中国近代史は、日本の学校教育では等閑視されていますからね。いったいどのような経路をたどって現代中国が成立したのかということを、われわれ日本人は、はたして百人に一人、いや千人に一人も知っているでしょうか? 孫文の名前は知っていても、「中華民国」がどういう状態の国だったかは知らない。太平洋戦争のことはテレビでもよくとりあげられるから、学校で習わなくても知る機会は多いのですが、日中戦争はそうではない。あれを侵略戦争ではないなどと元自衛隊将官が吹きまわっている始末です。こんなことでは靖国神社をなぜ中国が問題視するのかもわからない。近代の不幸がそのまま現代に直結しているのです。
 司馬さんが最後までこだわったノモンハンも、この日中戦争と一連のものです。そしてそれが、あの太平洋戦争へとつながります。近現代史はそれほどに無残なものであり、司馬さんはそれを骨身にしみて感じたからこそ、なにか光明になるものをさらに過去にさかのぼって歴史のなかに見出そうとしたんだろうなという気がします。
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