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渡辺玄英詩集『けるけるとケータイが鳴る』を読む

少し大きい文字
カフェ・エクリ
VOL.28 詩の森の散歩道
透明性って真空のことだろう
 なんて、ぼくはいったい誰に話しているんだ?   谷和幸
渡辺玄英詩集『けるけるとケータイが鳴る』


「けるけるとケータイが鳴く」
                                     (ユリイカばーじょん)

何もかも忘れて
ここに立っている
一本のアンテナの忘我が
ボーガと立っている きのーも
きょーも  (ボクはボーガだ・・・
ケータイがふるえている
たくさんのメールが届く
けど文字バケして読めない
です ふあん です
ふあんをとどけるのは誰ですか?
ボーダイなメールがとびかい
ムスーのでんぱがうずまくよそこここ
(・・・そこぬけの青空
そこここってどこよ?
そこここのうずまくでんぱ(ででんぱ
こそそこの渦巻きのま真ん中に
ぽっかりとうかびあがる半径一メートルの青空がボクれす
ボクはこないだから青空に代入されて
(代入されるボクは青空に代入されるボクは青空に代入されてされつづけて・・・
うずくムゲンにかさなり(かさなりつづけて
(うすくうすくひきのばされて
ととーめいな何もないたぶんたたくさん
(わかった うすく死んでくれ (キミはすこし自信なげ?
うずまくでんぱのままんなかに
たたくさんのボク たたくさんの空 (あおぞら? (見える?
せーてん
けるけると鳴るケータイがふるえる
(ぼくはここにいない

あしたからの連絡を待っていたら
こうなった です
でですから きみは
きみの取扱説明書を(とりせつを
くりかえし読んでくだされ
それを無限に読みつづけることだけが(くくくりかえすことだけが
きみの存続のジョーケンでふ
きみは操作者(送話者(ぶれいやー(召喚者…嘘だけど
とところで
とりせつってひびきはなんだかせつない(せつない?
と思いませんか?(思わんね(けるける


何をおぼえているのかも
思い出せない
(けるけるとケータイが鳴いている
たくさん壊れてたくさん苦しんでるはずなのに
ぼくは(どーも)悲劇がよくわからない
それはフコ―なことなんだろーか?
あいかわらず
アンテナが点いたり消えたりしてたよりない
空は蒼く澄みわたっていまふ
足りないものはどこにあるのか
(それはムゲンにあってどこにもない
次々と受信されているボク
だけが
ムイミなくらいの光の速度で生滅してる
かすかないたみ
(それもでんぱ?

「星空の大国」
・・・返事がない
  ただの屍のようだ
ちらばった指とか足とか
ニンゲンの姿が思い出せない
そんな夢を見た(という設定だ
どこまでも続く星空の下でボクは
ゲームのコントローラーを握りしめている
終わりのないゲームに耐えられますか?
(まるで空虚をうめるための空虚みたいな
無限なのか 夢幻なのか
ムゲンの星たちを見上げながら
どれがホンモノかニセモノか分からないよね
でも本当とか真実とかに意味なんてないし
信じることは信じないこと(ぐしぐし

星空の大国はムゲンだから
ルールはムゲンにひろがっていく
ボクはどこまでも飛んでいく
(ホントだろーか? (そんな設定なんだろーか?
終わりがないというのはおそろしいこと
飛んでいくと
いつのまにか元の場所に戻っていた
(なんてことはないだろーか
戻ってきたボクは
はたして元のボクなんだろーか?
(ニンゲンの形が思い出せない・・・
でもニンゲンのカタチだって変わりつづける
からね
こわれた世界にはこわれた主人公がふさわしくて
ファーストステージの次は装備がかわってセカンドステージに
まだこの先がある(かもしれない
ボクはゲームをしているのか
ゲームのなかの「星空の下を歩き続けている」のか
(わからないけど・・・



「ただしさの位置」 (詩集『海の上のコンビニ』から)

こんなに明るいのに
注射器がならんでいる
あいかわらず温度がひくくて
ただしい姿勢をたもてない
ときどき息をしては
死んでいくのを確かめる
いろとりどり
雨傘がゆれて(あの歩道橋を(その向こうには雲が見えて
わたるのか わたらないのか 赤とか黄色とか……
きみは渡りますか? どこへですか?
せんせい、いつの日かボクの心臓がただしく運ばれて
ツタのからまる空のむこうへ

むかしむかし魔女の館は、その上空だけ黒い雲がたちこめて
激しい雨と雷鳴が渦巻いていたのサごろごろぴかり
そこには伝説の従姉と銀ネズミが住んでいて
ボクはいつも夏休みをそこですごしたものだそんな記憶はない
闇にうかぶ赤の明滅 (複数形だから、sつけなくっちゃ……
笑う心臓のうえを走るねずみ
グルグル巻きのホータイから目が離せない
(たどりつけますか? すべてのただしい位置に
ホータイが包んでいるのは痛みではなく
しだいに気化していくカラダ
かろーじて つなぎとめられているよ
(ぎゅっとだきしめてぎゅっとだきしめてぎゅっとだきしめて
ホータイの中にはあおぞらが広がって
たよりなくボートがうかんでいるね
あおぞらを見つめると
こんなにも目がいたいのです

(透きとおった雨のあとの
 水たまりに足をひたして
でも、わたなべくん、これはだれの足なのですか?
きゅうに思い出したけど、あしたからは期末テスト
きのうヤマネくんとは
深夜放送のことを話しした
ヤマネくんのふっくらとした
その頬は紅潮し
これは予知夢だから、もうここへは来ないほうがいい
といった



渡辺玄英詩集『けるけるとケータイが鳴く』を読む

谷和幸

まず言葉の多層的な使い方の斬新さが目につく。読み進めるごとに不思議な言葉の空間ができるように思える。話者が明解にありながら、その話者自身についての言述が何か接点のない悲しみに覆われている。でもその悲しみは定位にあるものではなく、もっと大きな衝撃的な喪失感があり(実体が不明ながら)、それが日常の現実の時間とか空間が普通に話者の周りを無関係に過ぎ去っていくようなところにかすかな光をあてる感覚といえばよいだろうか。真空のような言葉の空間が魅力的だ。
かつて山口県芸術村で渡辺玄英氏の講演を聞いたことがあった。その時は庵野秀明の「新世紀エヴァンゲリオン」についてお話をされていた。所謂、サブカルチャーのアニメのことだが、現代美術家の村上隆の「スーパーフラット」の基になった重要なアニメだ。簡単に「新世紀エヴァンゲリオン」のセカイを説明すると、2015年、15年前のセカンドインパクトで半数近くを失った人類が使徒と呼ばれる脅威と闘うストーリーだ。使徒と闘う人造人間エヴァンゲリオンを操縦する14歳の少年少女の内面の苦悩がストーリーのなかに挿入される。碇シンジ、葛城ミサト、綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレーなどのキャラクターが登場する。極めて異彩を放つのが綾波レイだ。クローンとか人造人間のような設定ながら、傷つき、苦痛を表現するところが不思議なリアリティがあり、多くのフアンを魅了した。ここでも基本的には、大きな生死にかかわるインパクト(瑕)を持つ人間が、それとは関係なく日常はなんら変わらないごく普通の日常としてあるのだが、それが存在感の希薄な蜃気楼のようでありながら、しかし突然何ものかによってその所在感を失う(別の喪失感)という構造がある。一瞬にしてプレゼンスの真空化のような。
渡辺玄英の詩の世界に特徴的なことは、話者(ここでは主格という言い方に疑問を感じるのでただ話者とした)が「ボク」「きみ」「ワタナベくん」と同一の次元で共存している点だろう。「ボク」はレジを進行する目であり、脚であるが、「きみ」は「ボク」の内面性を抜き去って表面的に見える「ボク」の衣装にまとっている。「ワタナベくん」はいまここにある「ボク」と時間的には過去の「ボク」のようであり、瑕を持つ「ボク」のような存在だろうか。その「ボク」「きみ」「ワタナベくん」は同時に一つの詩に存在し、膠着化した言葉を創出する中心になっている。
以上の膠着した話者のほかに、感覚とか体験の標準化がなされているように思う。一般的な詩では「わたし」は稀な感性とか体験をもっており、そのことが自己言述の部分の魅力を獲得するのに比べると、渡辺詩の世界はごく一般的なそれをむしろ容認し、金型にして押し出してくるように思える。詩の言葉は、読者との所謂距離感とか、別種の飛躍をそのなかに入れようとするものだが、渡辺詩にその傾向が見られない。散文詩的な詩世界を展開していると言えなくもないが、話者である「ぼく」の感性とか経験は、セカンドインパクトの瑕を持つ人間が、日常に戻ろうとする時に一般的な人間像の模倣(外観からくる人間のしぐさと同義の感性とか体験)に脅迫的な観念を持つのと似ているようなところがある。それが次へと続く、(忘我が ボーガと立っている)とか(ボクはボーガだ・・・)(です ふあん、です)などのサブカルチャ―(私は不勉強でもう一つ分からないところがある)のアニメのセリフのような言葉が混入してくることで、「ぼく」の感性とか体験が揺らいで、レントゲン写真を見るような感じになる。ある種の膠着した書法なのだが、事後的に言葉の上に違う言葉が重なることで、先の言葉の支持体が変質して透明性を帯びてくる。それはリテラルな透明性ではなく、事後的変化によるフェノメナルな透明性だと言える。
それと、あとがきに……報道される事件や社会現象をテーマに機会詩を、毎日新聞(西部本社)に2006年三月から2008年五月まで隔月連載した。その「ゆらぎの現在形」という企画に十四篇を書き、うち十一篇を加筆改稿してここに収録している。……とある。機会詩について改めていろんなパターンがあるのだなという感慨をもった。報道される事件や社会現象に触発されたテーマということになるだろうから、具体的な新聞記事とは別の世界であり、詩のなかの話者が追いかけて、世界を補完するようで興味深かった。最後の三行は印象的だった。
ボクはゲームをしているのか
ゲームのなかの「星空の下を歩き続けている」のか
(わからないけど・・・


考える地図として
空間について
三次元の空っぽの箱(以後空間と記す)にりんごがある場合は、
①りんごは先に空間を必要としたのか? 
②それとも先に空間がりんごを必要としたのか?

同じようにりんごではなく、それが彫刻(芸術作品)である場合はどうだろう。
①彫刻は空間を前提とするか? 
②彫刻は空間を前提としないか?

延長した議論として、
の場合、空間を前提にして組み立てた彫刻とは?
の場合、空間を前提にしない彫刻とは?

※ステップアップするための質問。
言葉は時間を前提にするか?

ことばについて
虚のことばと実のことばがあるとすれば真空(透明)なことばはありえるか。

①虚のことばは実のことばを排除するのではなく、そのもののうちに実のことばを内包し、内部における二項が対立することで虚のことばを成り立たせようとする。
②虚のことばは二項の対立を事後的に捉えることでそのものが多重的に変質する。 
③事後的に虚のことばはその役割を終えて真空のことば(透明)になる。

①②③のすべてを懐疑する。
雑記
今日(27日)に注文しておいたコーリン・ロウ著・伊東豊雄+松永安光訳の『マニエリスムと近代建築』が届く。マイケル・フリードの『芸術と客体性』(1968年)と同時期に書かれた建築学の論文『透明性』(1963年)だ。あの時期の、あの時期(グリンバーグのフォルマリズムの純化からおこる芸術運動としてのミニマリズムが現れる)であるから出された論文の嚆矢なのだが、過去から未来へ続く今と言う時代を考えるうえで大変貴重であり、後の多くの建築家や芸術家に影響を与え続けている本なのだ。でもまだ読んでいない(かなり難しそう)。約束はできないが、報告する予定。


次回は貞久秀紀氏の待望の新詩集『明示と暗示』を取り上げます。
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