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カフェ・エクリ  VOL.43  段カフェ 11月7日16時より

皆様へ

カフェ・エクリの案内です。
日時・場所
11月7日 午後4時から
段カフェ  (大西さんに紹介いただいたすてきなカフェです)
初めての会場なので、3時40分に姫路駅構内(改札を出ないで)で待ち合わせるか、もしくは風羅堂で50分にいらしてください。
今回は「帰郷」から詩人の「故郷」について考えます。
合評会に自作詩(コピー8枚程度)もお忘れなく。



ecri111107.jpg


カフェ・エクリ  VOL.43

谷和幸
詩の森の散歩道
於 段カフェ 2011.11.7
詩人が謂わば透視的に、内部触覚的に「乾」と感じたにすぎない。
                   吉野弘著『詩のすすめ』の「帰郷」より

chuya.jpg

「故郷」というテーマについて雑感
 中原中也の「帰郷」の詩のほかに、故郷を詠った詩は室生犀星の「小景異情――その二」と高村光太郎の『道程』の「雨にうたるるカテドラル」があります。犀星は文人たらんとして東京に出て、食い詰めて故郷の金沢に帰ってきた、そのころの心情が「ふるさとは……」とうたわれたとあります。光太郎はパリから父親の要請で帰郷をやむなくなった心情がその背景にあります。中也の「帰郷」とそれらの三つの詩を重ね合わすことで近代の「故郷」というものがぼんやりと見えてくるように思います。つまり、それはいつも帰るのを待っていてくれて、心が休まるとか、癒しの世界ではなく、しらじらとして見つめ返すもの、禁忌の痛覚としてわだかまるもの、わざとゆがみグロテスクにみえるものと言えるのではないでしょうか。
 近代が終わって「故郷」はその姿をぼんやりとしたものに変えたようです。心地の良いものを「見よう」とする大きな力の働きがあって、「故郷」の生命そのものが消えていこうとしていると言えるかもしれません。どんなにみすぼらしくても、フランシス・ジャムの「私は驢馬が好きだ……」という詩にある驢馬がかみしめている古縄が、私たちに与えられた「故郷」なのです。それが大切なこととわかっていながら、どこか意識の屋根裏部屋にしまいこんで「見えない」ようにしているか、または、意識の父や母、そのほか家族につながる人間の関係性そのものが崩壊してしまったのかもしれません。
 お気づきだと思いますが、「見る」を括弧でくくったのは、私の「見え方」で最近思うことがあるからです。卑俗な例で申し訳ないのですが、目の神経を痛めたらしくて物が高さと角度をもって二つの重なった像に見えるのです。検査を受けると両方の目は少し乱視があるものの正常に機能しているのですが、その両目からの像を一つの実像に合成するところで失敗をするみたいです。このことは少女の絵が「見え方」を変えると老婆の絵になるようなアナモルフォ―ズの世界を見ているようです。文学者の近藤耕人氏が、私たちの目は直視することに耐えられない、「見える」ということは意識で作り上げらていると書かれていたのを思い出します。ですから、「見え方」というものは意識に属する固有の「文化」だと思うわけです。私はその部分で損傷を受けたと言っても大げさではないでしょう。
 そこでもう一つの言葉が浮かんできます。抽象画で知られるカンディンスキーのことをミシェル・アンリが書いた『見えないものを見る』という本の中に、「外部の実在性が解体するなら、対象が破壊されてるなら、何をそれらの代わりにするべきなのだろうか」というカンディンスキーの言葉が紹介されています。この問いは、抽象表現(芸術)についての有名な疑問です。しかし、この問いを近代が終わって「故郷」がぼんやりとしか見えないこの時代に持ってきて、「故郷」を詩の中心のテーマにするならば、身につまされるような哀切の調子を帯びるように思います。
……芸術がわれわれに開示する認識は、まったく異なった性質のものである。つまりそれは対象なしの認識なのだ。その存在論的環境とは、生――決しておのれから離れることなく、対象(オブジェ・前方に位置するもの)のようにおのれのまえに置かれることなく、おのれをまるごと抱きしめている生――である。……(ミシェル・アンリより)
 このアンリの「芸術」を「故郷」に変えて読めば私の意図するものが分かってもらえるのではないかと思います。それと、もう一つアンリが嘆くその時代について……この時代(1912年高谷註)が(カンディンスキーにとって高谷註)苦悩の時代であるというのは、それが実在性を忘却して、科学が奨励し拡大しつつあった客観主義にのめりこんでいたからである。<外部>に捧げられたために<本質的なもの>を失った……という自然主義が台頭する時代であったようです。これは生の全領域に生の真の本質の否定をくり広げ、したがって本当の名は死であるような一種の身体的ニヒリズムとなることを進んで引き受けている時代だ。と言っています。これはこのままで、まさに現代ではないでしょうか。
 さて、詩に書かれる「故郷」の話にもどります。中原中也・室生犀星・高村光太郎などの明確でしかも抒情でとらえる「故郷」がぼんやりとその実像を見えなくするようになっても、詩人にとって「故郷」を書くことは大きな欲望であり、現在の自分というものを言葉で確定するときにはその領域を避けることはできません。したがって現在書かれている詩集のほとんどが「見えなくなった故郷」を決して対象(オブジェ)として目の前に示すのではなく、生の全体として抱きしめるように「見えなくなった故郷」を表現する方法を模索している、と言えるのではないでしょうか。
 先ほど詩集『破れた世界と啼くカナリヤ』を上梓した渡辺玄英氏もそうでしょう。「海の上のコンビニ」を「故郷」として自分の全部を抱きしめるように把握した詩です。そのほか寺岡良信氏も、新しく詩集を出すにしもとめぐみ氏にしてもストレートではないにしても「故郷」というテーマに取り組もうとされているように見ることが出来ます。
 さて、最後になりますが、「見ない故郷」という課題ではなかったのですが木澤豊氏の「コスモス」という詩を紹介します。私がこの詩に強く共振するのは、自分と「かもめホテル」、自分とぶんぶん出入りする蜂」、自分と「老漁師」、自分と「港の町」の境界があるようでない、そのような視線にあります。生きるとはそのような境界をヴェールを剥ぐように失くしていくことかも知れません。すべてが……(わたし)自身だったのかもしれない……という眼差しが向けられるのは外の世界(オブジェ・一輪のコスモスが海と空の境界を行き来している)をとらえるのではなく、それが一体となって作品にあるという発見だったのです。

コスモス
                   木澤 豊
倉庫の深いひさしのしたで蜂がぶんぶん出入りをしている
かもめホテルを出て浜に向かうと海が道へあふれてきた

 浜辺でおはようと行き違う人に声をかけたが
じぶんが言ったのではない気がした
ゆっくり揺れる海に 一輪のコスモスが海と空の境界を行き来している

  ヴェールを剥ぐように(わたしは)死へ誘われているのだろう

 古びた船小屋の壁に掛けられたロープ
はがれたコンクリート道に記念碑のように置かれた錆びた碇の肌に
灰色の蛾が止まっていた

向こうから漁師らしい老人が歩いてくる
作業服で よれよれ日除け帽子で 黒い長靴を履いて
少し曲がったたばこを吸っている
 「あれは あんたには 何に見えるね」
かれは海の もっと向こうをさすように指を
道と平行にのばして言った
指の先ば 赤いブイがゆれている
そのときかれは(わたしの)見知らぬ祖父の影だったかもしれない
 (わたし)自身だったかもしれない

生まれるとは そのほうへ誘われることだ
誘われ 誘われる道すじに 白い鳥があそんでいる
この港の町は(わたしに)見つけられるのを待っていたようだ
 (わたしが)見つけられるのを待っていたように
生まれたときから おたがいに属していた と いま 言える

(わたしを)見つけてくれて 感謝しているよ
と がらんとしたロビーの古びたソファーにすわってつぶやいた
そこはくかもめホテル〉と呼ばれていた
 (わたし)に似合うように だろうね
ほんとうの名は知らないが


 それではここから吉野弘の中原中也「帰郷」をテキストとして載せます。


帰 郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    縁(えん)の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐(つ)く
あゝ今日は好い天気だ
    路(みち)傍(ばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

 
 この詩は、編集部から執筆依頼の電話があったとき咄嵯に選んだ(一度、電話を切って少しばかり時間をもらったが、結局、他に選ぶことをしなかった)。選んだ理由は、中原に特有の告白調がこの詩には少なく、訴えよりは事物が在ることに、鑑賞者としての安堵が働いたためとでも言えようか。
 私かこの詩を好んでいる理由の一つは、〈柱も庭も乾いてゐる〉という第一行にある。〈柱も庭も〉という重ね方が良く、特に〈柱が乾いている〉という表現が実に良い。〈庭が乾いてゐる〉のは地面を見ればわかることだが、〈柱が乾いてゐる〉かどうかは、目で見てわかることではない。人が感じ得ることとして、そうであるにすぎない。しかし〈柱が乾いてゐる〉という表現には、空気の乾燥が感覚的事実としてはっきり感じられ、柱の中のほんのわずかな水分まで、空気中に吸い取られ乾き切っているような、木の質感まで伝わってくる。おそらく、太陽は中天にあって、物たちの短い影が黒々と地面にあるのだろう。
 〈柱が乾く〉ということは、客観的事実として、われわれの周囲にあるわけで、たとえば、新しい家の柱が乾いてゆく過程で、あるとき音を立てて裂けることもあるのを、私たちは知っている。しかしここで言われているのは、もちろん、そういうことではなく感覚的事実である。
 外見からは、乾湿の程度のわかる筈のないものを、詩人が謂わば透視的に、内部触覚的に「乾」と感じたにすぎない。普通、人はそういうふうには物をとらえないもので、それだけに、詩人の把握を信頼するのである。詩人は、こういう能力によって無意識裡に、読者を作品の中にひきこむのであって、そのことを、私はこの詩の第一行から強く感じる。
 この小文の冒頭で、「事物が在る」と述べたが、詩の中の事物は、単に名詞としてあるの
でなく、詩人の感性によって事物の存在感を際立たせられ、ひき出されたもの、と言いたい。
 第二連の初めの一行も良い。
 〈山では枯木も息を吐く〉

 枯木まで、そのわずかな水分を、乾き切った空気に吸い取られ、喘いでいるのである。
 〈あどけない愁み〉は、よくお目にかかる中原流ボキャブラリーのひとつだが、うるさくはない。
 第三連の四~五行は、大方の読者が躓くらしい。
 〈心置なく泣かれよと
 年増婦の低い声もする〉
 これは確かに唐突であり、前後の脈絡も辿れない。しかし、この二行が無いと、この詩の面白さは、おそらく無くなってしまうだろう。
 この詩の第一連と第二連を通じ、読者は、郷里の家の一室か庭前にいる詩人を想像する。
第三連の初めの、
 〈これが私の故里だ〉
 という提示も、同一人物のつぶやきとして聞く。そこへ、
 〈心置なく泣かれよと〉
 という一行が現われ、そう言って慰めているのが年長の一女性だということになって、一人つぶやいていた筈の詩人の傍に、突如、思いがけない女性を見出して、戸惑いを読者はおぼえる。
 伊藤信吉氏は『詩のふるさと』という著書の中でこの二行に触れ、
 「終りの方の〈心置なく泣かれよと/年増婦の低い声もする〉という二行はなんだろう。帰郷の詩としてはいささかお行儀が悪い。この詩は初期の作品だというから、お行儀の良し悪しなど、意に介しない少年の心情だったのだろう」と感想を述べておられる。
 大岡昇平氏の著書『在りし日の歌』によると、〈年増婦〉は、中原の恋人・長谷川泰子のことであって、この言い方は、「帰郷」と「冬の夜」(詩集『在りし日の歌』所収)及び未定稿作品「虫の声」の三作品に現われているだけとのことで、しかも、大抵、泰子との交渉が途切れた時期に現われているようだとのことである(115~116頁)。
 この「帰郷」が詩誌「四季」に発表されたのは昭和八年のことで、制作年代は多分、昭和二年末だろうとは大岡氏の推測である。
 中原は十七歳の時(大正十三年、京都立命館中学在学中)に長谷川泰子と同棲したが、後、泰子は小林秀雄の許に走った。「帰郷」の制作年次が大岡氏の推測通り昭和二年ならば、その頃は、泰子が小林の許にいたから、この詩の〈年増婦〉も、複雑な陰翳を帯びることになる。
 しかし、ここではそういう方向のセンサクには踏みこまないことにして、〈心置なく泣か
れよと云々〉の二行に的を絞ることにしよう。
 中原をめぐる人間関係について全く知らずにこの二行を読んだときの私は、この〈年増婦〉を、作中の人物にとって特殊な間柄にある女性としてではなく、たとえば、遠い血縁にあたる年長の婦人で、作中の人物の行跡や失意やらを風の便りに聞き知っていた人、自らも薄倖に耐えてきた人という風に想定した。この場合、慰められているのは勿論、作中の〈私〉である。
 これが仮りに、特殊な間柄にある女性だということになると、係累の多い郷里の家人の中にそういう人を連れ帰ることが、先ず問題であるし、その上、そういう女性に〈心置なく泣かれよ〉と慰められるのも妙なものである。
 もう一つの想定。これは、身内の者の誰かと年増婦とのひそひそ話を、たとえば、襖越しに詩人が聞いているという想定である。一方で他人(血縁の者の一人)の身の上を聞きながら、同時にくおまへはなにをして来たのだ〉と自らに問うのである。
 しかし、この二行の穏当な読み方は不在の人(年増婦)と〈私〉との対話ではあるまいか。想像の中のある年長の女性に、これまでの一通りでない辛苦と不遇を慰められているのである。
 このように不在の人との対話として読む方が、現実空間に幻影空間かがらんで、ひろがりの生ずる効果がある。
 この詩を書いた時の中原の気持に立ち入ってみると、中原の傍にいない泰子を、以前の同棲時代の泰子に戻して、失意をいやしてもらおうとしている屈折した孤独が浮き上がってくる。
 さて最後の一連(二行)だが、これはよく知られているように、原作では四行であった。
 〈庁舎がなんだか素々(しらじら)として見える、
 それから何もかもがゆっくりと私に見入る。
    あゝ、なにをして来たのだと
    吹き来る風が、私にいふ……〉
 このうちの前二行は、大岡氏の説明によると(昭46・1・14付朝日新聞)、昭和三年、この詩を作曲した内海誓一郎氏が「庁舎」という句にどうしても楽符がっけられないということで、これを除くことを中原が承知したという。「四季」に発表した「帰郷」は勿論、この二行が削られたものであった。あとの二行は〈あゝ、〉の次に〈おまへは〉の加わった形だが、これは作曲時の改作か、「四季」発表時の改作か私は知らない。多分、作曲時には改められていたのではなかろうか。
 原作の中の〈庁舎云々〉は、現在の作品になじんでいる読者には唐突であろうし、私自身、同じ思いだが、
 〈庁舎がなんだか素々(しらじら)として見える〉
という、行の、庁舎という言葉には、堅固で実質的な生活を支える行政機能の含みがあり、
そうした現実的な生活体系から疎外されている中原の孤独が感じられる。そして、
 〈それから何もかもがゆっくりと私に見入る〉
という視線、詩人を追いつめてゆく視線にさらされてもいる。
 一体、この二行はあって良かったのか、ないほうが良かったのか。
 もしも〈庁舎云々〉の二行があった場合はこういうものへの中原のこだわりが浮き彫りにされてきて、実生活上での中原の失格意識と社会良識との対照が、もっとはっきり読者に印象づけられるようになったのではないか。
 中原は、今でこそ郷里に詩碑を立てられた詩人として郷土の名士だけれど、存命中は、郷土出身の出来そこないみたいな評価を受けていたらしいし、中原自身、なかなか出世しない、そのかみの天才少年としてのくやしさに耐え苛まれていた。〈おまへは何をして来たのだ〉という詩句は、中原の弟さんである思郎氏にとっては、「おまえは東京へ出たくせに、ちっとも出世をしないではないか」という意味にしかとれないと言っておられる(前記朝日新聞)。あるいはそうかもしれない。そういう意味で「庁舎」は中原の別の影でもあったわけだが、それが削られたことは、ある意味では中原の生活者としての実像を少し削ったことになったかもしれない。
 この二行が削られ現在の形になっていることについては、私は原作よりも遙かに緊張感があると思う。この詩の頂点は、
 〈心置なく泣かれよと
 年増婦の低い声もする〉
にあると思うので、もし、このあとに〈庁舎云々〉が出てくると、感興が二分されるのではないかと思う。

室生犀星「小景異情―その二」               

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


「雨にうたるるカテドラル」
高村光太郎『道程』から
おう又吹きつのるあめかぜ。
外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
毎日一度はきつとここへ来るわたくしです。
あの日本人です。
けさ、
夜明方から急にあれ出した恐ろしい嵐が、
今巴里の果から果を吹きまくつてゐます。
わたくしにはまだこの土地の方角がわかりません。
イイル ド フランスに荒れ狂つてゐるこの嵐の顔がどちらを
 向いてゐるかさへ知りません。
ただわたくしは今日も此処に立つて、
ノオトルダム ド パリのカテドラル、
あなたを見上げたいばかりにぬれて来ました、
あなたにさはりたいばかりに、
あなたの石のはだに人しれず接吻したいばかりに。

おう又吹きつのるあめかぜ。
もう朝のカフエの時間だのに
さつきポン ヌウフから見れば、
セエヌ河の船は皆小狗のやうに河べり繋がれたままです、
秋の色にかがやく河岸の並木のやさしいプラタンの葉は、
鷹に追はれた頬白の群のやう、
きらきらぱらぱら飛びまよつてゐます。
あなたのうしろのマロニエは、
ひろげた枝のあたまをもまれるたびに
むく鳥いろの葉を空に舞ひ上げます。
逆に吹きおろす雨のしぶきでそれがまた
矢のやうに広場の敷石につきあたつて砕けます。
広場はいちめん、模様のやうに
流れる銀の水と金焦茶の木の葉の小島とで一ぱいです。
そして毛あなにひびく土砂降の音です。
何かの吼える音きしむ音です。
人間が声をひそめると
巴里中の人間以外のものが一斉に声を合せて叫び出しました。
外套に金いろのプラタンの葉を浴びながら
わたくしはその中に立つてゐます。
嵐はわたくしの国日本でもこのやうです。
ただ聳え立つあなたの姿を見ないだけです。

おうノオトルダム、ノオトルダム、
岩のやうな山のやうな鷲のやうなうづくまる獅子のやうなカテドラル、
カウ気の中の暗礁、
巴里の角柱、
目つぶしの雨のつぶてに密封され、
平手打の雨の息吹をまともにうけて、
おう眼の前に聳え立つノオトルダム ド パリ、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
あの日本人です。

わたくしの心は今あなたを見て身ぶるひします。
あなたのこの悲壮劇に似た姿を目にして、
はるか遠くの国から来たわかものの胸はいつぱいです。
何の故かまるで知らず心の高鳴りは
空中の叫喚にただをののくばかりに響きます。

おう又吹きつのるあめかぜ。
出来ることならあなたの存在を吹き消して
もとの虚空に返さうとするかのやうなこの天然四元のたけりやう。
けぶつて燐光を発する乱立。
あなたのいただきを斑らにかすめて飛ぶ雲の鱗。
鐘楼の柱一本でもへし折らうと執念(しゆうね)くからみつく旋風のあふり。
薔薇窓のダンテルにぶつけ、はじけ、ながれ、羽ばたく無数の小さな光つたエルフ。
しぶきの間に見えかくれるあの高い建築べりのガルグイユのばけものだけが、
飛びかはすエルフの群を引きうけて、
前足を上げ首をのばし、
歯をむき出して燃える噴水の息をふきかけてゐます。
不思議な石の聖徒の幾列は異様な手つきをして互いにうなづき、
横手の巨大な支壁(アルプウタン)はいつもながらの二の腕を見せてゐます。
その斜めに弧線をゑがく幾本かの腕に
おう何といふあめかぜの集中。
ミサの日のオルグのとどろきを其処に聞きます。
あのほそく高い尖塔のさきの鶏はどうしてゐるでせう。
はためく水の幔まくが今は四方を張りつめました。
その中にあなたは立つ。

おう又吹きつのるあめかぜ。
その中で
八世紀間の重みにがつしりと立つカテドラル、
昔の信ある人人の手で一つづつ積まれ刻まれた幾億の石のかたまり。
真理と誠実との永遠への大足場。
あなたはただ黙つて立つ、
吹きあてる嵐の力をぢつと受けて立つ。
あなたは天然の力の強さを知つてゐる、
しかも大地のゆるがぬ限りあめかぜの跳梁に身をまかせる心の落着を持つてゐる。
おう錆びた、雨にかがやく灰いろと鉄いろの石のはだ、
それにさはるわたくしの手は
まるでエスメラルダの白い手の甲にふれたかのやう。
そのエスメラルダにつながる怪物
嵐をよろこぶせむしのクワジモトがそこらのくりかたの蔭に潜んでゐます。
あの醜いむくろに盛られた正義の魂、
堅靭な力、
傷くる者、打つ者、非を行はうとする者、蔑視する者
ましてけちな人の口の端を黙つて背にうけ
おのれを微塵にして神につかへる、
おうあの怪物をあなたこそ生んだのです。
せむしでない、奇怪でない、もつと明るいもつと日常のクワジモトが、
あなたの荘厳なしかも掩(おお)ひかばふ母の愛に満ちたやさしい胸に育まれて、
あれからどれくらゐ生まれた事でせう。

おう雨にうたるるカテドラル。
息をついて吹きつのるあめかぜの急調に
俄然とおろした一瞬の指揮棒、
天空のすべての楽器は混乱して
今そのまはりに旋回する乱舞曲。
おうかかる時黙り返つて聳え立つカテドラル、
嵐になやむ巴里の家家をぢつと見守るカテドラル、
今此処で、
あなたの角石に両手をあてて熱い頬を
あなたのはだにぴつたりと寄せかけてゐる者をぶしつけとお思ひ下さいますな、
酔へる者なるわたくしです。
あの日本人です。












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