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平岡けいこ詩集『幻肢痛』を読む

「痛みの記憶」

詩集『幻肢痛』(phantom pain)平岡けいこ著から

谷和幸

 

失ったはずの痛みに

脅かされる日常

たしかに在った手足の記憶が

神経に生きているのではなかったら

失った記憶は

どこへ隠されてしまうのだろう

                   「幻肢痛」の冒頭部分より

 

痛みそれ自体は、時空間をそのもののために要請したりすることはない。人間の身体のその中の部分に、痛みはいかずちに打たれて、亡霊が一瞬その相貌を現わすように存在する。痛みはどこからやって来たのか? 遠いいところからか? 近いところ? 私たちの知覚できる限界を超越したところから(それは人間を越えた者であるだろう)、突如として痛みが到来する。突然訪れる者(痛み)に私たちの身体はまるで準備していたかのように反応する。一瞬の接触でその訪れた者の全体を知る。しかしその全貌は、私たちの感覚の神経細胞の化学的な変化でしか捉えられないものだ。私たちの痛みそれ自体(感覚に依拠する)を、私はまるで芸術のようだと思うことがある。また、痛みは契約を取り結ぶという一人称の次元であり、自分の身体の痛みをいくら訴えても第三者に届かない。このところも基本的には芸術のアルゴリズムである。

苦しみとしての痛みは、時には人間を追い詰めて陰惨な影を落とすこともある。たしかに痛いのは苦痛であり、その痛覚(幻)を背負うことが心理的に負担をしいる結果、苦痛は何倍にも増幅される。痛みから逃れようとすることがアリ地獄のようにさらなる泥沼の深みへと沈むことになる。だが不思議なことに喜びでもありうる。荒修行をする修験道の行者とか、鞭で身体を傷つける宗教的儀式がそうだろうし、身体装飾や身体改造(リザード・マン)なども痛みの痕跡を残す意味ではこの領域に属するだろう。マルキ・ド・サドの文学が人間と人間ならざる者とが一つになろうとする欲望を描こうとするのもこのあたりにあると思う。

痛みを記憶することは人間にとって切実で、急を要する課題だった。なぜならそれは薄れていく煙のようなもので、その場に残留することはないからだ。痛みを自分のために記録すること。たしかに訪れたであろう痛みを身体に刻みつけておくこと。それはパソコンの画面上のアイコンのように、そこに触れればたちまちその全体が現れるように傷痕をとどめておこうとする努力だろう。

「幻肢痛」の続きの三連目で平岡けいこ氏はこのように書いている。

 

確かに繋がっていた記憶は

切断によって

次第に

誤作動をひき起こし

混乱し

失った事を忘れて

或いは思いだして

激しい痛みとして

その存在を主張する

 

痛みは経過する時間とともに残像でしかその姿をとどめない。この通常で考えられる二項はここでは真逆の変貌を遂げる。つまり痛みの残像こそが身体(リアル)にすり替わるのだ――そしてそれが身体に変わり、それが感じる。――

「幻肢痛」から最終連を引用する。

 

それでも喪失者たちの

哀しい記憶の残骸たちが

時折突き刺さるのだ

残され身体と失った身体の隙間から

脳細胞を貫くような激痛として

存在を誇示するために

忘れない

喪失の代償は激痛でなくてはならない

 

この「そしてそれが身体に変わり、それが感じる。」さえも喪失してしまえば私たちは痛みを感じたり、不思議と思われるかもしれないが、それを視認(フィードバックするための目の器官)することも出来ない。まったくそれは失ってしまった世界。喪失したものは、実体からみれば切れ切れの断片であり、ふっと目の前をよぎるイリュージョンでしかないのだろう。しかもそれは思わぬ激痛を私たちに突きつける。ここでも私は、この基本的なアルゴリズムはやはり芸術や詩が直面する「現代」というもの似ていると思う。

以前に平岡氏と謝礼程度の簡単なメールをやり取りしたことがあった。そのなかで彼女は詩人だけではなく、詩を分からない人にも伝えられる詩を心がけている、と言われたのが印象的に記憶している。それを現代詩の「共通感覚」として氏が思うならば、この「幻肢痛」は散文的な問題を含んだ詩文(テクスト)だと言わざるをえない。






今回のエクリは平岡けいこ氏の詩を鑑賞します。
みなさま「痛み」について考えてみたいと思います。


 

今回のテーマ詩

「幻肢痛」

 

失ったはずの痛みに

脅かされる日常

たしかに在った手足の記憶が

神経に生きているのではなかったら

失った記憶は

どこへ隠されてしまうのだろう

 

すでに失った腕が痛むと

とうにないはずの脚が痛むのだと

喪失者たちは何度も病院へ足を運び

口々に痛みを訴えるのだった

ないはずの腕や脚が

痛むはずがないと

医者は思ったのだ

当初

 

確かに繋がっていた記憶は

切断によって

次第に

誤作動をひき起こし

混乱し

失った事を忘れて

或いは思いだして

激しい痛みとして

その存在を主張する

 

重ねてきた日々の記憶が

当たり前の身体の動きとして

記憶された脳には

ない腕が動く感覚を

切断した脚が大地を踏みしめる感触を

記憶として呼び戻す事ができるのだ

 

鏡に映った片割れを

満足げに見やる

首を傾げると

首を傾げる

瞬きすると

彼も瞬きする

愛の言葉を囁くと

そっくり同じ記憶に基づき

彼も囁き返す

そうして痛みを飼いならす事を

ミラーセラピーと言う

まだ、謎の多い解決策だが

胸の疼きは消え

喪失者たちは

眠りに落ちる事ができる

 

失った事により引き起こされる

脳の記憶の誤作動、或いは遅滞

失った腕は

切断された脚は

瞬間の激痛を確かに体内に刻む

麻酔の間中

麻痺させた激痛の記憶は、どこにあるのか

残った上腕

或いは切り落とされた膝から下

その両方に等しく残るのか

喪失の記憶は徐々に遠ざかり

日常はすこし角度を変えて戻ってくる

 

それでも喪失者たちの

哀しい記憶の残骸たちが

時折突き刺さるのだ

残され身体と失った身体の隙間から

脳細胞を貫くような激痛として

存在を誇示するために

忘れない

喪失の代償は激痛でなくてはならない

 

 

「夜明けまで」

 

限りなく焦燥(しょうそう)に近い欲望なのだ

つまり 生活とは

無限のような一瞬なのだ

 

私は取り急ぎこの哀しみを

泣いてしまわねばならない

深海に沈む難破船のように

(えぐ)れた記憶を生活の裏に沈め

立ち去らねばならない 直ちに

古ぼけた懐中時計のねじを巻き

新しい地図を描く

失った翼でできた羽根ペンで

 

弧を描いて

約束が落ちる

守られるはずだった

守られなかった約束たち

 

それぞれの形に留め置かれ

忘却に(さら)されるだけ

ただ目の前の哀しみを

泣いてしまわねばならない

海のように 繰り返し

赤子のように 揺れながら

希望のように 直ちに

 

白い月が夜明けと(ちぎ)るまでの

一瞬の けれど

永遠のような

絶望のような

闇を抱えて

今日を消費した焦燥(しょうそう)

なだめなければならない

一日の終わりに

つまり 生活とは

一瞬の闇が無限に続く

その先の壮麗な光なのだ


場所  たつの市のガレリア

時間  午前11時から

日    6月7日

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