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カフェ・エクリ  VOL.39

カフェ・エクリ  VOL.39

谷和幸

詩の森の散歩道

於ブックカフェ されど




哀歌     第七


――云っておくれ きかせておくれ、

わたしは治(なお)るだろうか?

わたしの心臓のこの病気から?



――恋人よ 恋人よ

雪はその白さから

治る日はないだろう。



ecri-110714.jpg

フランシス・ジャム (Francis Jammes)
ジャン・ヴェベ(Jean Veber)画


はじめに



今回から詩のエクリのやり方を少し変えてみることにした。二年続けて身近にあって、もっともホットな詩人の詩集をとりあげてきたが、何か行き詰まりのようなものを感じてきた。

詩集が贈られてきて、時間がたつと本の山に埋もれてしまい、いつのまにかそれが記憶からも消えてしまいかねない。そのような大切な詩集をエクリのために読み返すことは有意義であったと思う。しかし、詩集を拙い文章で批評することに苦痛に近い感慨を持つようになった。

詩人は何のために詩集を出すのだろう。

この問いが発端となった。

私自身も含めてだが、詩と読者の関係にあるもっとも侵しがたく、頑固で融通性のないところを注目したいと思った。

そのために特別な詩の理論も必要とはしない。

一人の詩人が詩人であるためにどれだけの情熱と努力をもってして、いかに不器用なぐらいに真摯に自分を生きたか。その偏狭で、理解に苦しむようなところに尽きるだろう。

また、当の詩人も媚びたような、目的と方法をはき違えた批評の言葉など必要としないだろう。そして、ここが大事なところだが、詩人は他の詩をほめても心底それに心酔しているわけではないということ。その動かし難い詩心の核の部分に支えられた言葉の世界に光を当ててみたい。

それで今回から思潮社から出版している『詩の森文庫』から、吉野弘著『詩のすすめ』を手引きにしながらエクリを続けていきたいと思う。まず初めにある、「詩と言葉の通路」の第一章の「詩の感触」をとりあげる。

この章の冒頭から「詩の言葉に出会ったときの体験」として取り上げられているのはフランシス・ジャムの『哀歌  第七』(堀口大學訳)である。引いてみると、



哀歌     第七



――云っておくれ きかせておくれ、

わたしは治(なお)るだろうか?

わたしの心臓のこの病気から?



――恋人よ 恋人よ

雪はその白さから

治る日はないだろう。



この詩に吉野弘は「東北は山形県の出身である私は、子供の頃から雪にはとりわけ縁が深く、私自身これまで雪について詩を何篇か書いているが、このジャムの詩に太刀打ちできるような詩は一篇もない」と書いている。引用すると、

 

 ――この二つの連は、恋人の一方が相手に「私の心臓の病気は治るだろうか」と問うたのに対し、相手が「治らないでしょう」と素っ気なく答えるかわりに「雪がその白さから治る日がないように、あなたの病気も治らないでしょう」といたわりをこめて答えた形になっている。

  しかし、答え方が巧みだというだけがこの詩の面白さなのでは勿論なくて、雪の本質を、これ以上望めないと思われるほど見事に言い当てているところに、この詩の神髄がある。

中間省略

  ――白さから治る日はない、という表現のもたらす衝撃の強さは、散文で言い直した意味からは、まず生まれる可能性のないもので、雪が白という呪縛から逃れることはできないということを、いやおうなく読者に感知せしめる。同時に、人間の生命の中心に居座っているものが、必ずとも健康ではなくて、むしろ病いであるかもしれないことにも思い至らせる。生命が病い乃至死から解放されない日はないように、雪もまた、白い病いから解放される日はないと読むことは、雪に対する冒瀆とはなるまい。



吉野弘が感銘をうけた「雪はその白さから/治る日はないだろう」の言葉の背景には、彼自身の東北で生を受けたこと、また母との死別や父との記憶、そして成長期にあった村の生活習慣などに裏打ちされたものがあり、それがジャムの片田舎のオルテスに居続けて、植物を愛した詩人とどこかで諒解し合うものがあったのだろう。さらにその言葉から吉野弘の詩人としての想像が自由に解き放たれた印象がある。「冒瀆とはなるまい」この言葉に至る道筋を追求しなければならない。

つまりはどこかでこの二人は近いのである。・・・・・・そうだろうか?

でも、・・・・・・その言い方には乗り越えられない大きな問題があるように思える。

「白い病い」はもともと個人のなかにあるもので、余人に理解できるものではないはずである。それは個人のなかにしかない痛覚に近く、目に映る雪の白さや空の青さと同じように人によって見えるものは違っていて、そのことを他の誰とも共有することはできない。それが、ここではその個人的なパースペクティブが相手方に与えられ、それが分有されているのである。

たとえば、あなたの目の前で雨が降っているとしよう。それが電話でぼくに告げられる。ああ、ぼくの経験的に知っている雨があなたの世界で降っているんだな、とおそらく思うだろう。でもその想像を少し停止してみればおかしなことに気付くはずである。ぼくの経験的に知った雨があなたに降っているが、今しがたあなたが雨が降っていると告げたリアルさと比べるとどこかそらぞらしく、またあなた自身もぼくの想像の雨に打たれて困惑しているようではないか。この微妙なすれちがいはなんだろう、とぼくは思うだろう。

吉野弘のジャムの「白い病い」に対する読解はそのようなジレンマを充分に意識しながら、自分の経験的に知っている雪に想像力を発揮する。そのことが「冒瀆とはなるまい」の謂いではないだろうか。

これが吉野弘が書く散文では伝わらない《詩の感触》かも知れない。



もう少し丁寧に読むために、テキストに吉野弘の簡単な紹介と詩を一篇、そしてフランシス・ジャムの詩集から何篇かの詩を紹介する。



【吉野弘 1926年-。詩人。山形県酒田市出身。高校卒業後、就職。徴兵検査を受けるが、入隊前に敗戦を迎える。1949年労働組合運動に専念し、過労で倒れ、肺結核のため3年間療養。1953年同人雑誌「櫂」に参加。1957年、詩集「消息」、1959年詩集「幻・方法」。1962年に勤務を辞めて詩人として自立。詩画集「10ワットの太陽」、詩集「吉野弘詩集」「叙景」、随筆集「遊動視点」「詩の楽しみ」など著書多数。】



I was born

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと、青い夕靄(ゆうもや)の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。 

 少年の思いは突飛しやすい。 その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと 諒解した。僕は興奮して父に話しかけた
――-やっぱり I was born なんだね---
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――-I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってはこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。
――蜻蛉(かげろう)と言う虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜻蛉(かげろう)の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口はまったく退化していて食物を摂(と)るに適しない。胃の腑(ふ)を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりとした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげてるように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて 〈卵〉というと 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものだった。
――ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。





フランシス・ジャムはスペインと接するオート=ピレネー県の、トゥールネ(Tournay)に生まれた。1874年、町の小学校に入ったが、いじめられ、通学を嫌った。収税吏の父が転勤を重ね、フランシスはポー、次いでボルドーのリセに入ったが、散策や採集を好んで、学業には身を入れなかった。

1888年(20歳)、大学入学資格試験に落ち、文学への傾斜を深めた。同年父が没し、母と姉と、フランス南西端ピレネー=アトランティック県の、オルテーズ(Orthez)に移った。父祖代々の地であった。翌年公証人事務所に勤めてやめ、詩作に打ち込み、1891年の『6つのソネット』を皮切りに詩集を出し、それらがステファヌ・マラルメやアンドレ・ジッドに認められた。

1895年(27歳)、初めてパリに遊びはしたが、オルテーズを好み、その山野・鳥獣・草花、そして少女らを愛し続けた。1896年、ジッド夫妻の北アフリカ旅行に合流した。1897年、文芸誌上に、自らの文学姿勢のマニフェスト『ジャミスム宣言』を載せた。

初期の詩の朴訥なうたいぶりは、清新だ衒いだと褒貶が割れたが、力強さを加えた1898年の『明けの鐘から夕べの鐘まで』で、世評が定まった。

1900年、ポール・クローデルを知り、カトリックの信仰を固め、1905年、聖地ルルドへの巡礼に、クローデルと連れ立った。

この前後、少女に恋しては破れ、また、『クララ・デレブーズ』(1899年)、『アルマイード・デトルモン』(1901年)、『ポム・ダニス』(1904年)など、「少女もの」を書いた。

1907年(39歳)、カトリックの女性、ジュヌヴィエーヴ・ゲドルプ(Geneviève Goedorp)と結婚した。1912年、オルテーズ教区の参事会員となり、1914年の第一次世界大戦開戦のときは、オルテーズの野戦病院を管理した。1921年、バス=ピレネー県(現在のピレネー=アトランティック県)のアスパラン(Hasparren)へ移った。1922年、レジオン・ドヌール勲章の授与を辞退した。なお、アカデミー・フランセーズには、何度か立候補して当選できなかった。

アカデミーは定員を40人として詩人、小説家、版画家、演劇家、哲学者、医師、科学者、民族学者、批評家、軍人、政治家、聖職者といった様々な背景を持つ面々で構成されてきた。会員資格は終身であり、会員の死亡等で欠員が生じると直ちに新会員が現会員の推薦と選挙によって決定される。3世紀以上に及ぶ歴史を持ちながら、1793年から1803年にかけてのフランス革命期を除いて定期的に活動を続け、創設以来これまで700人以上が会員として名を連ねた。その中にはフランスの歴史をさまざまな形で彩った偉人たちが数多く含まれている。

アカデミーの会員は、大礼服のような制服が定められている。

定員40人制を堅持しているため、いわゆる「41番目の椅子」で待ったまま会員になれなかった著名人も数多い。このような人物として、デカルト、パスカル、モリエール、ルソー、プルーストなどが挙げられる。

リシュリューによるアカデミー・フランセーズの印に“à l'immortalité”と刻まれていたことから、会員は“les Immortels”(不死の存在)という異名を持つ。

その後も活発な文筆活動をしたが、1938年(70歳)アスパランの自宅で没した。村の墓地に小さな十字架が立てられた



序詩



神さま

あなたは私を人界にお呼び出しなされた。

それで私は参りました。

私は苦しみ 私は愛します。

あなたが下さった聲で私は語りました。

あなたが私の父と母にお教えになり

両親が私に傳へた文字で私は書きました。

私は私の道を行きます、

子供達に冷笑されながら、

頭を下げて通る重荷を背負った驢馬のように。

あなたのご都合の良い時

私はあなたのみ心ママの處へ参ります。



寺の鐘が鳴りまする。

※旧かな・旧漢字は変換しにくいので現代かな・漢字にしています。



『明けの鐘から暮れの鐘まで』より



あなたは書いてよこされた……



あなたは書いてよこされた

ゴヤアブの深林で山鳩を打つたりしていると。

あなたの医者はあなたが死なれる少し前に

あなたの真面目な生活を言ってよこした。



医者が言うには、あなたは

カライイブのあなたの林の奥で

暮らしていられると言うことでした。

あなたはわたしのお父さんのお父さんです。

あなたの古手紙はわたしの抽斗の中にある、

あなたの一生は苦しい一生だ。



あなたの故郷のオルテスから

医学士の称号を背負って出て行かれた、

彼の地へ渡って金儲けをしようと。

あなたは一人の海員に託して手紙をよこした、

フォラ船長にことづけて。



雨水を桶に溜めて

苦い不衛生な水を飲むのだと言う

あの国で 度度の地震の為にあなたは破産された。

あなたは細々とこんなことを書いてよこされた。



あなたは其の後薬種屋を買われた、

《この薬店は町内に並びない立派なものだ》と

あなたは書いてよこされた それからまた、

《もうすっかり植民地者になった》とも。



あなたは今もってゴヤアブの地に埋まっている。

わたしは今あなたが生まれた土地でこれを書いている。

あなたの古手紙は真面目でさびしい。

それが鍵のかかるわたしの箪笥に入れてある。

           一八八九年





また秋の時節が来た……

        ヴィェㇾ・グリファンに



また秋の時節が来た、

脂肪(あぶら)ののった鶉(うずら)が飛び立つ、

水鶏(くいな)はしめり勝ちな牧場の中で

滑るようにして痩せた蝸牛(かたつむり)を漁っている。

小さな鴇(がん)の群が丘の方から飛んで来て

しなやかにやさしく舞って見せたのも二三日前だ。

また翼の長い鳧(けり)の群は 広やかな空気の中で、

繕(つくろ)おうとした自分たちの飛翔を

かえって網の糸のように乱してしまい

沼地の泥まみれの川柳の方へと飛び去った。

やがてまた近いうちに 機械仕掛けの子供の玩具のような

小鴨の群が幾何学風に空を飛んで通るだろう、

また首の長い鷺は高い枝にとまり

やさしい鴨の群は半円を描いて

殺される時までわななき続けよう。

そして最後に 嘴の先の曲がった鶴の群が、

錆びた鳴き声をきかせるだろう そして

一列に並んで 一羽一羽入れ替わって、

先頭を切って飛ぶだろう。

ヴィェㇾ・グリファン これが詩人のすることだ、

だが友よ僕等が求める平和は容易には見つからない、

何故かって バジル奴(め)相も変わらず豚を殺す筈だから、

そして豚の鋭い恐しい泣声はまたしても聞こえて来る筈だから、

その上僕等はさまざまな俗事に邪魔されるから……



だが然し ばら色のやさしい恋人も、

雨のようにふるかの女の微笑も、

しとやかに動くかの女の肉体もある。

それからまた 野菜畑の中にいて、

ついに彼には理解できない死の近づくのを、

さびしげに ぢつと見つめる病気の犬もある。

これ等のものは すべてごつちやになって 一上一下。

やさしいことにさびしいことが続いて、

そしてあらっぽい顔つきの人たちが呼んで

人生だと称するものをなしている。





哀歌 第七



――云っておくれ きかせておくれ、

わたしは治(なお)るだろうか?

わたしの心臓のこの病気から?



――恋人よ 恋人よ

雪はその白さから

治る日はないだろう。



――雨の中の虹のように

涙の中で微笑している

恋しい女よ、



――云っておくれ きかせておくれ、

わたしのマモオルよ、

わたしは死なねばならぬのか?



――恋人よ 何を云っているのです、

わたしたちが極楽へいくだろうと

あなたは御承知のくせに!……



……おお わたしのマモオルよ、

青空の中へ行くのだね?

お前は神さまに何と申し上げる積りか?



――神さまに 私は申しましょう、

地球の上には

沢山の不幸(ふしあわせ)があると。



――愛するマモオルよ、

云っておくれ、

極楽はどんな處だろうか?



――極楽には

青い竪琴と

五色の幕がありましょう。



――わたしのマモオルよ そうしてもっと?……

そうしてもっと

何が極楽にありましょう?



――恋人よ

わたしはあなたのマモオルだ程に

極楽には二人の恋がありましょう。





四行詩   第一集(一九二三年)



宇宙



水いろの

絹の空。

小山の上では

犬が吠える。



そしりをゆるす



清い蝋の衣を着た美しい百合の花よ

一匹の虫が熱心にお前をほろぼそうとしている、

竪琴を奏でる詩人のように

お前の芯から金粉がこぼれて敵を被う。



流動性



藤の花房が瀧をまねている

波立って流れる水のように草が光る、

すると白い雲を浮かべたただの青空が

漂うヴェル浮かべて宙に浮かんだ湖水のように見えてくる。



二つの歎き



私はお前に叫んで云った《自分の草鞋より他には

曳きずって行く可き何物を持たないあの男は幸福だ!》と

それなのにその男は思っている、

「よしそれが涙にひたしたパンであっても、

家族と一緒に食べるんだったら さぞ美味かろう」と



ある詩人の妻に與う



お前が選ばれた女だと云うので世間の奴等がお前を憎んだり、

お前を日陰者あつかいにしたりして

詩人の妻になったからには苦しむのは当たり前だと云ったりしたら、

そいつ等に見せておやり おまえの生んだその詩人の子供達を。



うまい返答



支那第一の詩人に向かって

(彼は細かな薔薇の模様の絹衣の服をきていた)

ある批評家が彼の詩に欠点があると云ったと告げたら、

彼は指をあげて自分の子犬を叱ったと云う。



行程



口に祈りを唄いながら歩み行く巡礼者よ、

到着するまでにはまだ何と前途の遠いことだ!

どんなことがあっても後ろを見てはいけない、

目ざすところへ到着したら そこには影と水と羊歯がある筈だ。

                         失原題



踏切



その小さな家は空気のように明るかった、

朝の光を浴びてバルコンには桃色の部屋着をきた女が見えていた

それなのに汽車は一と揺れ揺れると見るまに、

それ等のものを後へ押しやって消してしまう。







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